4月26日(日)10時30分~11時30分
メッセージ:「かしこより来たる主」
聖書:使徒言行録10章39-43節
説教者:小野慈美牧師
※どなたでも視聴できます。
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使徒信条には「(主イエスは)かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを裁き給わん」とあります。「かしこ」とは「全能の父なる神の右の座」です。天に帰られた主が再び来られる。「再臨」、あるいは「最後の審判」と呼ばれます。
<主イエスは裁き主>
ローマ14:9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。12それで、私たちは一人一人、自分のことについて神に申し開きすることになるのです。(共同訳)
主イエスが来られるとき、そのとき地上に生きている者も、すでに死んだ者も主の裁きを受ける。「裁き」とは、単純な勧善懲悪ではありません。隠されていた真実が明らかにされ、人間的な判断ではなく、神による正義が貫かれます。
死がすべての終わりであるとしたら、この世界には不公平と見えることがたくさんあります。だからこそ、死を超えて支配しておられるキリストの裁きが無くてはならないのです。このお方の前では一切ごまかしは効きません。私たちのうわべの言葉や行いの奥に隠れている本音が見通されるのです。このお方の前ですべてが明るみに出され、真の意味で公平な裁きが行なわれます。
<主イエスは救い主>
使徒10:42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、私たちにお命じになりました。43 また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。
しかし、驚くべきことに、この裁きが同時に赦しであるということです。私たちが裁きを、絶望ではなく希望として受けとめられる理由は、裁き主が他でもない、私たちのために十字架にかかられたイエス・キリストその方であるという事にあります。私たちを裁く方は、私たちの弱さを知り、私たちの痛みをその身に引き受け、私たちの罪のために命を捧げられた方です。そのことを知るとき、私たちは、今生かされていることがいかに大いなる恵みであるか、この命の日々がいかに尊いものであるかを知るのです。
<再臨の主を待ち望む者の生き方>
真理を行う者は光の方に来るのです(ヨハネ3:21)。心の一番深いところを神様に絶えず照らしていただく。照らされることはつらいし、恥ずかしい。しかし、そのとき、闇の中に逃げ込むのではなく、あえて光の方に顔を向ける。人はごまかせても、神はごまかせない。神の前に出る。罪を照らされたら、言い訳をせずに、悔い改める。それが神を礼拝する者の姿勢です。神を礼拝することをしないときに、私たちの心は神ならぬものに支配されてしまいます。礼拝でこそ、私たちは本当に生きる。礼拝でこそ、私たちは生きる姿勢を形作る。そして本当の命をいただく。裁き主でありつつ、救い主である主イエス・キリストの前で礼拝する。そして、真理の霊である聖霊の力によって、この世に遣わされていくのです。
前 奏 -主は死にたまいしよみがえりて- F.W.ツァハウ
招 詞 テモテへの手紙二4章1-2節(下記)
賛 美 讃美歌21-16 われらの主こそは(1,3,4,5)
主の祈り
賛 美 -ハレルヤ、ハレルヤ- 聖歌隊
聖 書 使徒言行録10章39-43節 (新約p.234)
祈 祷
賛 美 讃美歌21-334 よみがえりの日に(1,3,5,6) [4月の歌]
黙 想
説 教 「かしこより来たる主」 小野慈美牧師
賛 美 讃美歌21-564 イェスは委ねられる
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-27 父・子・聖霊の
祝 福 小野慈美牧師
後 奏
音楽奉仕者任職式
分かち合い
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神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
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