5月25日(日)10時30分~11時30分
メッセージ:「義のために迫害される人々は、幸いである」
聖書:マタイによる福音書5章10節
説教者:浅輪一郎伝道師
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「八福の教え」の最後の教えから導きを求めます
【背景】まず、八福の教えに至るまでの背景を振り返ります。この教えを含む山上の説教が始まる直前には、イエス様は「ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また民衆のありとあらゆる病気を癒された。」(4:23)とありました。するとその評判は広まって、大勢の群衆がイエス様に従って来た(4:24)とありました。イエス様は、この群衆を見て山に登られ、弟子たちが近くに寄って来ると「山上の説教」を始められたということであります(5:1,2)。
【八福の教え】次に、八福の教えの七番目までを振り返りますと、八福の教えは、「心の貧しい人々は、幸いである」(5:3)から始まっています。ここで語られている心とは、元々のギリシャ語では息であり、風であり、聖霊のことです。ですから、「心の貧しい人々」とは、現時点では神様からの息、神様からの聖霊が十分に宿ってはいなくても、それでもイエス様から語られるお言葉を求めてイエス様の前に集う人々のことを指しています。そしてそのような人々が「幸いだ」と語られていることになります。それは全ての人に向けられた「招きの詞」として語られているかのようでもあります。そのような「招きの詞」は続き、今度は悲しむ人々に語られます。「あなたがたは幸いである」と(5:4)。何故ならそのような人々はイエス様が語られるお言葉に耳を傾ける中で慰めを得るからだと言います。さらに、そのような中で人々は柔和な者にされていくのであろうし(5:5)、神様の義を求める者となるのであろうし(5:6)、憐れみ深くもなり(5:7)、心が清くもされていくのでしょう(5:8)。そして私たちは平和を実現していく者にもされていくのでしょう(5:9)。
【義のために迫害される人々は、幸いである】いよいよ「八番目の教え」に入るのですが、イエス様は「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(5:10)とお語りになります。ここで語られています義とは、5章11節を見ると、イエス様のことを指していることが分かります。「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなたがたは幸いである。」そうしますと、「イエス様のために迫害される人々は、幸いである」と語られている今となっては、「八番目の教え」からは、私たちは、私たちもイエス様に従う覚悟を決めなければならない!と示されているのでしょう。確かに八福の教えは、思い起こしてみますと「招きの詞」のように始められイエス様に付いて来た全ての人々に語られていました。しかし、そのような幸いをもたらして下さる神様の愛は確かに“無制限”ではあるのですが、それでも実際にイエス様を通してもたらされるその幸いを今度は私たちがしっかりと受け取るには、私たちも覚悟を決めなければならないということであります。何故か? それは、ここで語られています「幸い」とは、イエス様の神様への従順を通して、つまりイエス様が背負われた十字架を通して初めて私たちにもたらされるものであるからであります。イエス様が、私たちの罪のために死んで下さった、十字架に掛かって下さったからであります。事実、イエス様は、イエス様に従う覚悟を決める!ということについてはこのように仰っています。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(16:24)そしてイエス様は言葉を続けられます。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(16:25)
イエス様にあって十字架は、もはや怖いものでも死の象徴でもなくなり、永遠の生/永遠の命の象徴となります。何故なら、私たちの罪のために死んで葬られたイエス様は復活をされるのですが、そのことを信じる者もイエス様によって生かされるようになるからであります。だから私たちは、 安心して覚悟を決めていい、イエス様に従って行っていい、一見すると怖いものに思える十字架すら背負って行っていい。迫害すら意味を持たないのです。
前 奏 - われらが苦しみのきわみにあるとき -J. S. バッハ
招 詞 詩編1編1-2節(下記)
賛 美 讃美歌21-12 とうときわが神よ(1,2,4)
主の祈り
賛 美 - ガリラヤの風かおる丘で 高浪普一編 - 聖歌隊
聖 書 マタイによる福音書章節5章10節 (新約p.6)
祈 祷
賛 美 讃美歌21-57 ガリラヤの風かおる丘で(1,3,4)
黙 想
説 教 「義のために迫害される人々は、幸いである」浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 みめぐみゆたけき(1,2,3)
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-29 天のみ民も
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
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