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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2023年7月23日

先週の礼拝

7月23日(日)10時30分より
メッセージ:「聖なる井戸端会議」
聖書:ヨハネによる福音書4章1-15節
説教者:東間克美師

※どなたでも視聴できます。

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◆まず1節・3節を見ましょう。『さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、バプテスマを授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた』。南のユダヤから北のガリラヤ。その間にサマリアがありました。9節にあるように『ユダヤ人はサマリア人と交際しない』ため、ユダヤ人は南と北を行き来する時には、サマリアを避けて、ヨルダン川沿いの道を通っておりました。4節『しかし、サマリアを通らねばならなかった』。この「ねばならない」という言葉には、神のご摂理、主イエスに託された使命が示されております。具体的には、一人のサマリアの女性を救いに導くことでありました。
◆旅に疲れ、喉の渇きを覚えた主イエスですが、井戸が目の前にあっても、汲む物を持っておりません。その時です。一人のサマリアの女性が水を汲みに来たのです。時は『正午ごろ』。通常水汲みは朝に一日の必要な分を汲みます。しかしこの女性は、真昼の時間帯に水を汲みに来た。つまり、人目を避けて水を汲まなければならない「何らかの事情」があったのです。誰もいないと思って井戸にやって来たこの女性は、そこにユダヤ人らしき男性が座っているのを見て困惑したことでしょう。「この人に関わりをもたないで、早く水を汲んで帰ろう」。その時でした。『水を飲ませてください』(7節)と声を掛けられたのです。こうして「救いのドラマ」は、主イエスのこの言葉から始まっていきます。
◆当初サマリアの女性は目の前にいるお方の必要に応えるのではなく、主イエスとの人格的な交わりを拒否しております。しかし主イエスは、この女性を、しかもユダヤ人と対立するサマリア人の女性と、人格的な交わりの中で、救いに導きたいという思いをもって接しられました。ここに『サマリアを通らねばならなかった』、という神の摂理、主イエスの使命の本質的な意味があるのです。主イエスが言われた10節の『生きた水』とは、神に対する、人間の霊的な渇きを潤す「永遠の命に至る水」であり、聖霊によって与えられる「新しい命・救いの恵み」を指し示しております。彼女はこの「生きた水」というものを、目に見える水を思い浮かべていて、主が語られる霊的な意味は理解出来ておりません。しかし「生きた水」を与えよう、という主イエスの言葉は、その本質的な意味は分からないまでも、この女性に心の変化をもたらせました。このような彼女に主は言われました。13節・14節『イエスは答えて言われた。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」』。主イエスが与える「水」。それは、その人の全存在の内側から造り変えて、生きる源泉となる「永遠の命に至る水」なのです。15節『主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください』。彼女は主の言葉を理解出来てはいませんでしたが、『その水をください』という言葉に、彼女の「求める心、求道心」を見ることが出来ます。つまり、当初は主イエスに「飲み水」を求められた女性が、今や主イエスに「生ける水」を求めるようになったのです。主イエスはサマリアの女性が本当に求めていたものをご存じでした。この女性は愛に飢えていた、自分を人格的に認めてくれる人を求めていたのです。そのような彼女に主イエスは、人種という垣根を超え、敵意の壁を打ち砕いて、人格的に接しその魂に触れてくださったのです。
◆28節に『女は、水がめをそこに置いたまま町に行き』とあります。水を汲みに来た女性が、水がめを置いたまま町へ戻った。このことは「渇くことのない、生きた水」が彼女に与えられたこと、すなわち救いに与ったことを象徴的に示しております。自らの魂の渇きに気付かず、また本当に大切なものを見い出せなかったサマリアの女性。彼女から見れば、主イエスとの出会いは「偶然の出会い」であり、「出来れば避けたい出会い」でした。しかし主イエスの御心は「必然の出会い・救いへ導く出会い」であったのです。サマリアの町に「居場所」がなかった女性に、主イエスは救いを与え、魂の渇きを潤され、彼女に「本当の居場所」を与えられました。
 一人のサマリアの女性の救いと、サマリアの町全体のリバイバル。すべてはこの「聖なる井戸端会議」から始まりました。それゆえ主イエスは、『サマリアを通らねばならなかった』のです。




前   奏   ―  み言葉をください  ―    小山章三
招   詞   詩編37編5節(下記 聖書協会共同訳)
賛   美   讃美歌21-404 あまつましみず
主の祈り  
聖   書   ヨハネによる福音書4章1-15節 (新約p.168)
祈   祷   
黙   想
説   教   「聖なる井戸端会議」     東間克美師
祈   祷 
賛   美   新聖歌248 人生の海の嵐に
献   金  
感謝祈祷
賛   美   讃美歌21-24 たたえよ、主の民
祝   祷                     東間克美師
後   奏
分かち合い

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あなたの道を主に任せよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩37:5)


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