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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2017年9月10日

先週の礼拝

主日礼拝
9月10日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「来たるべきお方」
聖 書:ルカによる福音書7章18-35節
説教者:小野慈美牧師

「来たるべきお方、救い主はあなたなのですか。」獄中のバプテスマのヨハネは、二人の弟子を遣わして主イエスに尋ねました。主イエスは下記のイザヤ書の預言を引用しつつ、ご自身が救い主であることを告げました。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(7:22)。
<「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う」(イザヤ35:5-6)。「主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」(イザヤ61:1)。>
当時は、肉体的な障害や、若くして死ぬことは、神様の祝福をいただけないとみなされていました。
このような人々をも神は顧みておられることを示すために、主イエスは癒しをなさいました。また、「貧しい人は福音を告げ知らされている」とは、貧困そのものを積極的に良しとしているわけではなく、今、既に貧しい状況に追い込まれている人々に対して、「貧しい人は(呪われているのではなく、愛されているという)福音を告げ知ら」せることが救い主(メシア)としての大切な働きだということです。
「わたしにつまずかない人は幸いである」(23)。つまずかないとは、主イエスがメシアであることを信じることができることです。当時の一般のユダヤ人は、政治的解放と経済的な豊かさをもたらしてくれることがメシア(救い主)の使命だと理解し、主イエスにもそれを期待していました。しかし、主イエスの言動は彼らの期待外れでした。神の事柄について、人間が主人になって語り始めると、「メシアはこういうお方でなければならない」と決め付けたり、現実を勝手に判断し、「神は間違っている」という思いをいだきかねません。もし、神が人間の思い通りに動くお方だとしたら、神は人間の奴隷になってしまいます。人間の思い通りでないことこそ、神が神(主人)であるということなのです。
主イエスは、一見、期待外れに見えるかも知れないけれど、わたしたちの思いを超えて、わたしたちを顧みてくださる方です。その意味で、やはり主イエスこそ「来たるべきお方、救い主」なのです。

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前   奏   - 愛する神にのみ - J.S.バッハ
招   詞   テモテへの手紙一 第1章15-16節
賛   美   21-11 感謝にみちて
主の祈り
交 読 文    交読詩編 第128編
賛   美   - 究め得ぬ 豊かな主 -          聖 歌 隊  
分かち合い   
賛   美   21-119 神のみ力よ
聖   書   ルカによる福音書 第7章18節-35節 (新共同訳新約 115頁)
祈   祷   
黙   想    
説   教   「来たるべきお方」             小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美   21-290 おどり出る姿で
献   金 
感謝祈祷
賛   美   21-148(1節,頌栄)(アーメン) 全地よ、主に向かい
祝   祷                         小野 慈美 牧師
後   奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
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