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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2017年7月9日

先週の礼拝

主日礼拝
7月9日(日) 午前10時30分より
説 教:「目から丸太」
聖 書:ルカによる福音書6章37-42節
説教者:小野慈美牧師

最初に4つの戒めが出てきます。①人を裁くな。一般的な裁判制度を否定しているのではなく、人の人格を傷つけるような仕方で批判するなということ。①人を罪人だと決めるな。自分だけが聖い者であるかのように思い上がるな。③赦しなさい、④与えなさい。いずれも、寛容であれという勧め。
4つの戒めには、その結果も書かれています。①そうすれば、あなたがたも裁かれることがない、②そうすれば、あなたがたも罪人だときめられることがない、③そうすれば、あなたがたも赦される、④そうすれば、あなたがたも与えられる。すべて受け身で書かれていますが、これは隠れた形で神を主語として語るときに用いられる表現です。つまり、「他人から裁かれないために人を裁くな、人から赦されるために人を赦せ」という人間関係の戒めではなく、自分を神との関係に導く言葉です。
自分の考えを表明することと、人を裁くこととは違います。「人を裁く」とき、自分のほうが相手より上だという思いがあります。信仰に関して言うならば、自分の考えこそが神の考えなのだ、自分は間違っていないという態度です。正しいから何を言ってもいいというような思いにもなってきます。自分の正しさを振りかざして、相手を傷つける罪は気づきにくいものです。しかし、愛のない正しさは、相手を傷つける暴力になる。愛を欠いた正しさは、たとい、その内容が間違っていなくても、本当の意味で正しくない。なぜなら「愛がなければ、いっさいは無益」(1コリント13:3口語訳)だからです。
「兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(41)とは、その罪に気づかせようとする恵み深い言葉です。丸太がある状態で、人を正しく判断することなどできません。まず自分の目に丸太があることに気づかせていただき、その丸太を神様に取っていただき、赦していただいた者が、上から見下げる態度ではなく、他者のおがくずを指摘することができます。
丸太は、自分のプライドと言えるかもしれません。あんな人と一緒にしてほしくない、というプライドが本質を見えなくしてしまうのです。「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。」この言葉は、我々を人間同士の比較の世界から、神の前へ導き立たせます。そこには、わたしを裁かず、罪人と決めつけず、赦し、与えようとしておられるお方がおられます。わたしの愚かさや罪にもかかわらず・・・。

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前   奏   - 天にまします われらの父よ - J.S.Bach
招   詞   詩編 第30編5-6節
賛   美   21-55 人となりたる神のことば
主の祈り
交 読 文   交読詩編 第133編
賛   美   - イエスこそ羊飼い -            聖 歌 隊
分かち合い   
賛   美   21-125 いかに幸いなことだろう
聖   書   ルカによる福音書 第6章37-42節   (新共同訳新約 113頁)
祈   祷   
黙   想    
説   教   「目から丸太」                小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美   21-520 真実に清く生きたい
献   金 
感謝祈祷
賛   美   21-401(1,4節)(アーメン) しもべらよ、み声きけ
祝   祷                          小野 慈美 牧師
後   奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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