水戸伝道所を訪問しました。 (2011年度9月号より) |
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今から四年前、2008年8月18日、私は、森島惠先生と捜真教会の青年二人と一緒に、水戸伝道所を訪問させていただきました。新しい場所に移転する前の水戸伝道所です。 私は、中学三年生、15才の時に信仰を告白し、バプテスマを受けてから10年間、ずっと捜真教会で過ごしていましたが、同盟の他の教会を訪問したのは、水戸伝道所が初めてでした。 このあと、奈良佐保キリスト教会、野並キリスト教会、平バプテスト教会を訪問する機会を与えられました。 でも、訪問を重ねる度に、この水戸伝道所訪問のことを思い出していました。 私にとって、初めての訪問であったからかもしれません。 ただ、水戸伝道所を訪問したことは、今でも色鮮やかに思い出されるのです。 一番の思い出であり、その後の私の教会訪問でいつも心にあって、支えとなったことは、礼拝を捧げたことはもちろん、その後の交わりで、皆さんの信仰の証を伺ったことでした。 お一人おひとりの顔と信仰の証とが忘れられず、神様がこの教会の頭として、確かに働かれていることを知りました。たった一度の訪問でしたが、その後も忘れられない水戸伝道所でした。 水戸伝道所を訪問してしばらく経った頃、渡邉晋作先生が伝道所を離れられるという話を伺いました。 横浜の地にありながら、水戸伝道所はどうなってしまうのかと思いました。 でも、心配するのと同時に、あの証をされた方々だから、主イエス・キリストを信じて信頼していた教会だから、何よりも、神様が祈りを聞きあげて働いてくださるから、きっと大丈夫であろうとも思いました。 その後、中村悦子先生が赴任されることを伺い、喜びとともに、神様は本当に生きて働いておられるのだと、驚いてしまいました。その後、嬉しい知らせが続きました。 水戸伝道所が新しい場所に教会堂を与えられたこと、中村先生の牧師になる按手礼が行われたことです。 困難な問題にぶつかった時にも祈り、神様が働いてくださり、最善の道に導いてくださったことを思い、水戸伝道所に起こった一つ一つの出来事に、とても励まされました。 残念なことに、この移転を喜びとても大きな働きをされたTさんは、一年前に亡くなられていました。 感謝のうちに集会を終えて教会の皆さんと別れる時に、一冊の本を頂きました。 それはTさんの息子さんが書かれた『ギフトーキリストとの邂逅』という詩集です。 すてきなプロローグにとても心を動かされました。皆様にも分かち合いたくて、ここにご紹介致します。 二十年も 前のこと つかれきったわたしは どうしていいか分からずに ただ 外国の町で ぽつりと していました …… 中略 …… 振り向くと 車いすの黒人 ひげもじゃ男性が 笑いながら こういいました 「なにか してあげられることはないですか?」 聞き返すわたしに となりの目の不自由な 白人女性が いいました 「なにか してあげられることはないですか?」 わたしの にごったあたまに 正気の光が ともりました このひとたちは 見ず知らずの東洋人を なんとかして 助けようとしている 不自由な体で 精一杯の笑顔で わたしは いったい 何をしている 自分のことだけ とらわれて わたしは いったい 何をしている 自分の不運にだけ身をゆだねて わたしこそ してあげられること あるはずなのに …… 中略 …… そこにいる ひとたちは 例外なく しずかに にぎやかに ほほえんで みずしらずのわたしを 歓迎しました みんな そんなこと している場合じゃなかったのに それぞれに重荷を負って 生きることが くるしくて 泣きたいほど かなしかったのに やまいがあって なやみがあって お金がなくて 助けがなくて そして 子が親が 思うようにはならなくて 人をうらみ ねたむ理由など 山ほどあったのに それなのに みんな しずかに ほほえんで つくり笑顔でなく ただひたすらに ほほえんで ささいなことで 投げやりになった わたしをいとおしんで なぐさめてくださいました そこがキリスト教会でした かれらが イエス キリストを その奇跡のすべてを 感謝をもって ただ信じるひとたちでした そして あたたかさに包まれて しらずに流れる涙のなかで いつか わたしも そうなりたいと こころから ねがったのでした (高野信也詩集 「ギフト」) 菊池 |
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