リディツェ (2010年度11月号より)
この夏、私はチェコに行ってきました。以前プラハには少しだけ立ち寄ったことがあり、都会であるけれども古いものを大切にしているなんともいえない魅力を感じました。また子どもが、小さい時からその歴史、伝統に、自然と触れることのできる国であることを感じました。今回はよりチェコの歴史に触れてみたいと思い、計画を立てました。
その中で、プラハからバスで30分北にある、リディツェ(LIDICE)という村に行くことができました。この村については全く知りませんでしたが、大師新生教会の天野功牧師のお薦めがあり、行ってみることにしました。天野先生のお話では、先の戦争でナチスドイツに攻撃された村で、ウヒチローバさんという芸術家がその村に帰ってこられなかった88人の子どもたちの像を造って、村にあるとのことでした。
実際に行ってみると、リディツェのバス停から見える風景はただの広い野原で、どこに向かったらよいかわかりませんでしたが、バスの運転手さんが指さす方向に進んでいくと、小さな建物と、広いきれいな公園がありました。その建物が、メモリアルリディツェ(博物館)でした。中に入ってみると、まず、10分程度の映画を見せてくれて、その先には現代的な建物の中に、丁寧に展示されているリディツェの悲しい歴史がありました。
1942年ドイツ占領下のチェコで、当時チェコを代理総督として治めていたハイドリッヒが暗殺され、その報復として直後の1週間で1万3千人が逮捕され2千人近くのひとが処刑されたということがありました。その暗殺者がリディツェ出身の青年であるのではという噂から、こののどかな小さい村は、ナチスの報復の象徴とされ、まず15歳以上の男性143人が処刑され、203人の女性は収容所に送られ、子どもたち105人は国外へ連れ出され、村は徹底的に破壊されたのです。その後戻ってこられた子どもは17人でした。
博物館には幸せだった村人の様子、最後の小学校の写真、村が全てなくなった後の焼け野原の写真などが展示されています。最後に、村に帰ってくることのできた子どもたち(今は老人となって、新しいリディツェ村に住んでいる)の証言VTRがありました。ショックのためチェコ語を話せなくなってしまったこと、ドイツ人の家庭に預けられ、徹底的にドイツ化教育を受けたこと、幸せだった子ども時代の話など、胸を締め付けられるようなお話でした。博物館を出て、広い公園を歩いて行くと、その一角に、村に帰ってこられなかった88人の子どもたちの像がありました。今は美しいこの広い野原に、昔楽しい村の暮らしがあったことを思うと、本当に人間の罪の重さを感じました。
ローマの信徒への手紙12:17~21に報復について書かれています。
この村の物語は、ナチスドイツの残虐な行いでありますが、彼らには彼らの正義があったのです。
人間の正義により、報復に報復が重ねられ、人殺しが正当化されてしまうのが戦争であります。「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ」「善をもって悪に勝ちなさい」御言葉に触れる時、神さまの正義に立ち返ることによってのみ、真の平和が訪れることを確信しました。
幼稚科 C.T
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