わたしたちは神様の作品!   (2010年度3月号より)

二月に教会から十日間の休暇をいただいて、中米のパナマに行ってきました。私の娘と孫がパナマに赴任した夫のもとに向かう旅に同行したのです。日本から運ばれた引っ越し荷物は、驚くほどたくさんありました。自分が留学したときとは比べ物にならないほど多くの荷物がありました。ちょうどパナマはカーニバルの時期に入り、メイドさんも休みに入り、街もほとんど閉店していました。もちろん外国の会社経営による巨大なショッピングモールは開店していて、食べるものには何も不自由はありませんでした。いつかパナマの旅のお話もしたいと思いますが…。今回は、思いがけないことに気づいたことをお話しいたします。

到着していた荷物の中には、日本で暮らしていた時に使っていたいろいろなものが入っていました。特に食器の中には、大切に杉箱に入れられているものもがあり、とても丁寧な梱包がされていました。娘が名古屋に住んでいた時に、数回たずねて行きましたが、その時いつもわたしは<どうしてこのような半端な食器をつかっているのかな?重ねられなかったり、重かったり…>と口こそ出しませんでしたが、思っていました。ところが、荷物の中からそれらの食器がぞくぞくと現れて、本当に驚いてしまいました。そして娘の説明を聞いてまたまた驚いてしまいました。決してすべての食器というわけではありませんが、いくつもの器は、人間国宝の○○さんの第一弟子の方の作品だというのです。コレクションのりっぱな写真集を見せられて、頁を開いてみると確かにお弟子さんの作品にも作風が継承されていることがわかりました。それからは、これらの器を大切に取り扱ったことはいうまでもありません(笑)。つくづく無知ということは、愚かなことだなあと思ったことでした。

聖書のお言葉に、
「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」エフェソの信徒への手紙2章10節
とあります。私たちは神様の作品だと言われているのです。考えてみれば、この世に一人しかいない私、天下一品なのです!しかも人間国宝どころか、神様に造られたもの、神様の作品だというのです!まるで初めて知ったような気がするほど目眩さえ覚え、自分の命の尊さに驚き、喜び、感謝せずにはいられません。そして「神様に造られた人間」であるということに気づかせられて、人も自分のことも軽んじていたことに気づかされ、神様に悔い改めの祈りを捧げました。<こんな私…>などとは、決して言えない自分の存在だったのです。
遠いパナマの地で、器のことから聖書の言葉に引き寄せられて、気付かせられた「神様の作品」のお話でした。
                                   
牧師 森島 惠


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