罪、赦されて  (2008年度10月号より)

 「人の子は、失われたものを探して救うために来たのである。」 ルカ19章10節

「イエスさまは、あなたの罪のために十字架にかかってくださったのです。」中学に入ってから、ずっと言われ続けてきた言葉です。そう言われるたびに、私には罪はない、どちらかといえば善人だ…と思っていました。けれども、しばらくたってから私自身が犯した紛れもない罪を思いおこしてしまったのです。

 ひとつめ…おそらく小学校低学年のころ、友達と自転車で遊び、その後キャベツ畑が見下ろせる土手に座って美しい夕焼けを見ていました。気がつくと目の前には、たくさんの赤トンボが飛んでいて、友達と私は「トンボだトンボだ!!」と大騒ぎして追いかけまわしました。足もとを見るとねぎ畑のねぎが無惨に倒れ、あたり一面ねぎの香りで一杯になっていました。

 ふたつめ…やはり小学校低学年のころの冬休み、母の故郷仙台で、おばの家から祖母の家に向かって歩く途中、兄にうながされ、ポストの中に雪を入れました。中の郵便物はどうなっていたのでしょう。ふたつめを思い出した時点で私は顔面蒼白になり言葉を無くしていました。ほかにも思い出されることがありましたが、これ以上書き記すのはやめておきます。

 私は23才の時にバブテスマを受けましたが、そのときに感じていた罪は、行いよりも心の中におこることでした。
倣慢やねたみ、満足しない思い…わたし自身に打ち勝ってくださるイエス様を心の真ん中にお迎えしたいと強く願ったのです。いまでも自分の中の弱さと闘いながら過ごしていますが、私の罪を赦し、新しくしてくださったイエス様を与えられていること、そのイエス様に祈りつつ歩んで行ける恵みを心から感謝しています。

中学1年担当 A.K


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