神様、みこころならば主のみ言葉の証人となさしめてください (2007年度5月号より)
私が初めて教会学校に出会ったのは、今から45年前、教団の横浜上原教会附属の愛隣幼稚園に入園し上原教会に通った時からです。その後小学校入学と同時に捜真教会に通う事になりました。
通い始めた頃はまだ今の礼拝堂はなく、礼拝堂が出来た当時のCS礼拝は1階ホール(お昼にカレーを頂いている所)で行われていました。ホールの奥には今の様に倉庫もなく広々としていて窓が有り、そちらに説教者が立ち神様のメッセージをお話下さっていました。現在の小学科の川井明先生は私が小学科時代の担任の先生で、東間克美先生は中高科の先生で、幼稚科の高木裕介先生は中高科時代の一つ先輩で同じCSの生徒でした。それから娘と息子もCSに通うようになり、アルバムを見ますと12枚以上の皆勤、精勤賞の賞状が収められています。
神様のご計画は素晴らしく、今CSで神様を証する者として立たせていただける事を感謝せずにはいられません。神様は何時も共にいて私達を愛して下さっています。その恵みに応えて主を讃美して行きましょう。
今回“思いやりの心”について考えて見ました。思いやり→相手の立場に立って考え相手の気持ちを汲む力と辞書にあります。皆さんも今日何か実行してみて下さい。「いつも塩で味つけられた優しい言葉を使いなさい」コロサイ人への手紙4章6節“やさしい”は平易と言う意味より“恵みにみちた”と言う意味だそうです。
英語の聖書ではgraciousとなっています。grace恵みは「かけがえのないものとして受け容れ生かす」関係でしょう。ですから代用のきかない「塩」で味つけられたとなるのです。
私達は神様に創造され、主に赦されかけがえのない存在とされています。そうした思いで向き合い語り合う時、共に生きる事になります。優しい言葉、快い言葉の肯定語を互いに発していきましょう。
幼稚科担当 T.H
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