祈られて支えられて (2006年度3月号より)

ここに15年前に届いた一通の手紙があります。私が胃潰瘍で吐血し緊急入院したことを聞いて届けられた、先輩牧師からの手紙です。

『あなたが体調を崩されたと聞き、心配致しております。疲れとストレスと聞いて<誰に対するストレス?>と思わず口が滑ってしまいました。あまりナイーブにならないように心に一穴の風を通されるように希望します。
先日教会に、登校拒否的症状をもつ大学生が両親に伴われて面談にやって来ました。対人関係を作るのが余り上手ではなく、一人でいるのは苦痛ではない。しかし他者とのコミュニケーションも築きたい。それが出来ない自分がイヤ・・・。行動を起こせば良いのに、行動に移せない自分がイヤ・・・。誰にでもたやすく起こる心の病ですが、誰でもがそのような心の病をもつ自分を受け入れる事が出来ないように思います。
教会には、ウツ病や分裂病に苦しみながらも、キリストの交わりの中に平安を与えられて、生かされていることを感謝している方々がおられます。経験していることや抱えている病気は違っていても、心身の病を経て苦しんだ体験を持つ方々は、悩みの中にある人の傍らに立てると思えるのです。次の日曜日の礼拝に、この母親と娘さんは一緒に礼拝に来られました。私は、この方々が、聖書のみ言葉によって慰められ、力を与えられ支えられますようにと、心を込めて祈りながらメッセージを届けました。
時間は限り無く有り、また限りが有ります。でもあせらず、体調をもどすことを考えて、ノンビリなさいな。私たちに出来ることは、ほんの少ししかなく、私たちの力など小さなものに過ぎないのですから。神様は私たちに決して無駄な経験をさせられませんから、あせらないこと。でもノンビリしなさいと言いながらも按手礼会議の準備もあるので大変ですね。ノンビリとそして大胆に、そして一日一日を主の恵みのうちにお過ごし下さい。』

* 按手礼会議は、聖礼典(バプテスマ式、聖餐式)を行う牧師となるために、論文と説教を提出し教理理解を問われて、各教会から出席している代員の承認を受けなければならない大切な会議。

私は、人間関係も仕事も、すべてのことが慣れない毎日に必死で、心身共に過労状態で倒れてしまったのです。しかし、次の年に行われた按手礼会議で、さいわいにも私は按手礼を受ける承認を得、喜びの按手礼式に臨むことが出来ました。その日に、先輩牧師がお祝いの電報を送って下さいました。

『神の召しに応えて、み言葉を述べ伝え、人の痛みと悲しみを共に苦しみ、感謝と希望を常に忘れず、伝道者の歩みを続けられるよう心より祈ります。』

この先輩はその後癌の病に倒れ、最後まで苦しみ抜いて神様のところに帰って行かれました。私の耳には、苦しみの中で力を振り絞って言われた先輩の言葉がまだはっきりと響いています。「決して挫けるな。主が共にいて下さるのだよ」と。私は、祈られて支えられて、導かれるままに今日を生かされてきました。そして今私は牧師として、教会と教会学校の皆様を覚えて、神様のお導きを祈る働きをさせて頂いています。

牧師、高校科担当 森島 惠


ぶどうの木一覧にもどる  教会学校トップページにもどる  トップページにもどる