成人科担当
関山恵一

 

成人科の学びより (2011年度6月号より)


『足を洗う主』

<ヨハネによる福音書13章1節〜12節>                 
「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。 」


最後の晩餐の前に主イエスは弟子たちの足を洗い始めました。
それは、弟子たちにとって思いがけないことでした。
ペテロが「主よ、あなたが私の足を洗って下さるのですか?わたしの足など決して洗わないでください」と言いだしたのも当然です。
主イエスは「私のしていることは、今あなたにはわかるまいが、後でわかるようになる」と言われました。

 主イエスのなさることがわからない弟子たちの姿は、私たちの姿でもあります。
神さまがなさる新しいことは「隠された秘儀」に満ちています。乙女マリアの受胎、イエスのバプテスマ、弟子の招き、癒しの奇跡など、どれをとっても神のみ業は、私たちには「分からない」ことです。最も大きな「隠された秘儀」は主イエスの十字架と復活です。
それは、驚きであり、戸惑いであり、怖れや不信を呼びます。
しかし、いつまでも「分からない」ままではありません。神ご自身が「分かる」ようにして下さいます。それが、「心理の御霊」が与えられる時、聖霊降臨の時です。
「足を洗う主」はあなたの存在の基盤にかかわろうとしておられるのです。
「足を洗う主」の手本にならって、繰り返し「互いに足を洗う」関係を持ち続けなければなりません。汚れ果てたあなたの足を洗おうとして、上着を脱ぎ、身をかがめておられます。
その姿の中に真実な愛と支えの御手が示されているのです。

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