成人科の学びより (2010年度5月号より)
『神の約束を待つ祈りの群れ』
<使徒言行録1章3節〜14節>
使徒言行録の第1章は、イースターの後の弟子たちの姿を知る大切な記録です。復活された主イエスが天に昇られる出来事を見た弟子たちは、天を見詰めたまま呆然と立ち尽くしていました。その時、彼らは「あなた方から離れて天にあげられた主イエスは、またおいでになる」と言われました。
復活の主は再び来られる(再臨)救い主です。私たちは主の昇天から再臨までの時の間を生きているのです。それは聖霊によって生きる時であり、祈りつつ生きる時でもあります。「祈りは自己放棄である」と言われます。それが、「ひたすら」という意味です。
自分をどこまで捨てることが出来るかで、その人の祈りは決まります。神を信じて「ひたすら」祈るところまで、自分の欲望や自我、様々なしがらみをすべて捨てて祈るところまで来たら、「神がすべて」となり、「神がすべてを与えてくださる」ことがわかるのです。
弟子たちが「心を一つにしてひたすら」祈り始めた時、聖霊の時代・教会の時代が始まったのです。そのことを覚えて、家族と、友達と「祈りの群れ」をつくり、祈り合う日々を過ごして行きましょう。
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