成人科の学びより (2010年度02月号より)
『神の恵みによって、今日の私がある』
<コリントの信徒への手紙福音書15章1節〜11節>
神さまは私たち一人一人をありのままに受け入れ、関わり、働きかけ、支えて下さいます。私たちは一人一人違います、神さまはその一人一人にとって、その人だけの神となって下さるのです。
「私はアブラハムの神、ヤコブの神、イサクの神である」と言われる神なのです。
ですから、「私の神」と呼ぶことは決して独りよがりでも、不遜なことではありません。パウロは「最も大切なこと」として伝えた福音は「私は受けたもの」だと言っています。信仰は、決して抽象的・観念的に一般化することはできません。ひとり一人の告白として伝えられていきます。「キリストが私たちの罪の贖いとして死んだこと、三日目に復活したこと、ケファに行き、人々の前に現れたこと」、キリストの死と復活を信じる信仰をひとり一人に伝えるというのです。神の教会を迫害し、使徒の中でもっとも小さく、使徒と呼ばれる値打ちのない者である自分が、キリストの福音を伝える伝道者として仕立てられた事実を語り、「神の恵みによって今日の私がある」と告白しています。
キリストの十字架と復活に示された救いの福音を事実として信じ、受け入れるとき、あなたを根底から支えてくださる「神の恵み」を見ることができるのです。この「神の恵み」を信じる信仰を拠り所として、「今日の私」を形成していきましょう。
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