![]() |
||
神学校に学んで捜真バプテスト教会牧師 森島牧人 |
||
神学校の入学式当日、私はタートルネックのシャツにコーデュロイのブレザー、そしてジーンズという格好で三鷹の駅へ降り、神学校へ向かうバスに乗りました。そのバスの中には、黒い衣服に身を包んだ集団が乗っていました。 「お葬式にでも行くのかな?それにしては若い集団だなぁー!」と、そんな思いで眺めているうちに、バスは神学校のある停留所へ着きました。私が降り、黒服の集団も降りました。私が右へ歩いていくと、黒服の集団も同じ方向へ。 「まさか。」と思いました。しかし、その「まさか!」のまま、互いに目的地、東京神学大学へと入って行ったのです。いま思えば、献身者としてはあまりにも大胆な、否!、非常識ないでたちであったと恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、直前まで普通の大学生活を目指して勉強していた当時の私には、想像することさえ難しい世界でした。 私は、幼い時からものづくりが好きでした。関東学院中学では理工部に所属していました。毎日アマチュア無線の機器やアンプを製作していました。ですから当然理系の学部を目指しました。しかし志望する大学には入れず、やむなく浪人生活をしていた秋、葉山の海岸で召命を受けたのです。まったく試験科目の違う神学校への針路変更は、不安がいっぱいでした。受験科目には語学のほかに聖書や社会、そして小論文があり、今まで勉強してきた数学や物理などは全く役に立たちませんでした。しかしどうにか入学を許されたのです。 当時東神大の学生は、ほとんどが日本キリスト教団から来ていました。そこでは、この捜真バプテスト教会の属するバプテストであることは、まさに少数派を意味していました。しかしそのことがかえって、自己の所属する教派の歴史と信仰を、あらためて深く考えるきっかけとなりました。東神大の教授方からは、そこでの研究も、また実践活動でも、バプテストであることを明確にするように強く求められたからです。 その結果、私は、「バプテスト教会ではどう考えるのか?」、「今日バプテストである意義はどこにあるか?」、「今、バプテスト教会は何をすべきか?」等々の問いを、常に意識し続けてきたように思います。この「バプテストとは何か?」という問いに私自身まだ明確に答えきれてはいませんが、そこでの切り口としては、具体的にこの世に存在している教会の<働きの方向性>、いいかえれば「今バプテストは<どこから><どこへ>行こうとしているのか?」が、大変重要な問題であると考えています。その意味でも、この組織神学的・歴史神学的問いへの実存論的研究を継続することは、今を生きるバプテストとしての私自身にとって不可欠なことなのです。 |
||
![]() |
六分儀: 海を見つめていた私は、不思議なことを発見しました。外国航路船は埠頭を離れてもすぐに港の外へ向かわず、港の中をゆっくり一周してから、おもむろに港を出ていきます。疑問を感じた私は、近所の船乗りに尋ねてみました。現在であれば、人工衛星からのデーターで自分の位置を即座に知ることが出来ますが、少し前までは、大海原を走るどの船もコンパスやこの六分儀に頼って航行していました。船乗りたちは荒海に出る前に、静かな港の中で、針が正しく北を指しているかどうか、星や目標物をもとに確かめているのです。私たちも同じです。歩むべき道を誤らないように、先ず私たちの心のコンパスが正しくイエス・キリストを指しているかどうかを確かめなければなりません。 |
お問い合せ おちぼ一覧へ戻る トップページへ戻る |