「生まれた時からです。礼拝堂の大きな椅子の下を這いまわっていたそうです。」

TOMI NAITO CHURCH LIFE  内藤トミ

捜真バプテスト教会と共に歩まれた内藤先生が作り続けてきたものは?先生の人生を通してその魅力を探ります。

小さい頃から教会へ行かれていたんですか。

:母がクリスチャンでしたので、生まれた時からです。礼拝堂の大きな椅子の下を這いまわっていたそうです。大正13年頃から東京の牛込教会付属幼稚園の第1回生として通い始めました。その後、小学校3年になる時横浜鶴見に引っ越しましたので近くにあった美普教会へ通いました。オルガンを弾く人がなく女学校3年生頃から礼拝で奏楽を始めました。女学校へ5年通って、4年だけ音楽大学へ行き、卒業後直ぐから教師として同窓生として、ずっと捜真女学校と関係しております。ですから同じ年月捜真教会とも関わりがあったことになります。

5年といいますと?

:当時の女学校は4年と5年で卒業する学校がありました。今の高校2年生です。捜真女学校は5年の学校でした。小学校6年を卒業して直ぐ働く人もあった時代です。小学校は「ハナハトマメマス」から始まる『国語読本』で学びました。

そこから当時の女学校となると今以上に大きな変化があったんでしょうね。
:時代の変化はありましたが捜真女学校はとにかく礼拝を大事にしていました。憲兵の目が光っていた戦争中も坂田祐先生のご尽力と先生方の強い信仰で礼拝を守り抜くことができました。工場に生徒達が動員された時も、その場で礼拝は続けられました。

その学校生活の中で信仰に導かれたんでしょうか。

:学校生活は勿論、教会生活と共に導かれたと思います。バプテスマは女学校で受けました。坂田先生がチャペルを建設なさった最初のときに私と友人2人の3人で受けました。チャペルの講壇にはバプテストリーがあり、想像がつかないでしょうけれど、地下にシャワーつきの個室の更衣室がありました。

その建物はもうないんですよね

:空襲で焼けてしまいました。戦争が激しくなり、エーカック先生をはじめ宣教師の先生方は敵国人として拘束されることになりました。女学校の生徒や先生は危険をおかして物不足のなか食べ物を持って先生方を訪問しました。そのうち宣教師の方々は母国米国に送還されたのですが、帰国されて日本の中で自分達を守ってくれた人達がいたことをアメリカで伝えていく働きをなさいました。戦争が終わり焼失した校舎を再建する時、その話を聞いた米国の教会で、窓ガラスとペンキが送られてきました。女学校がコンクリートの建物に改築された際、その時の木造の建物の一部は以前の教会の礼拝堂にも使われ、窓ガラスも残っていました。今窓ガラスの一部は女学校の図書館に展示されています。

戦後、女学校が捜真教会を生み出したと聞いておりますが。

:戦後、女学校の中で聖日礼拝が行われていましたが、千葉勇先生の強い希望とご尽力で学校教会ではなく、地域の教会として捜真教会が生まれたのです。最初、礼拝には女学校の生徒が多かったのですが関東学院をはじめ他の学校の生徒や、栗田谷の近くにお住いの方もいらっしゃいました。エーカック先生、マッコーイ先生、日野綾子先生によってバイブルクラスも始まり、婦人会も発足したのです。

変わってきたことはありますか?

:私は昔も今も変わらないと思います。もちろん教会ができた頃は人数も少なく何でもみんなで一緒にしていました。婦人会は平日にしていましたので近くの主婦の方や女学校の卒業生、他の教会の方が集まる良さもありました。教会学校も初めから力を入れていて子供のうちからキリストを学ぶことを進めてきたと思います。千葉先生は何時も「小さいときにキリストを伝えることが大切である」とおっしゃっていました。日野先生もその思いが強く教会学校や婦人会の伝道に力を尽くしておられましたし、森島卯之助先生は問題を抱えた若い人達の良い相談相手となり、導いてくださいました。

森島卯之助先生の後、天野功先生が協力牧師として迎えられました。それから天野牧師は主任牧師として、また捜真幼稚園園長として40年間全力を尽くしてくださいました。その間、中村隆治朗牧師、桜井皓牧師、小野慈美副牧師、田村義明伝道師、原伝道師、前田修光牧師など多くの方の働きで捜真教会は発展してきました。現在森島両牧師夫妻のもとで教会生活ができますこと感謝です。

私も他の教会員の方と同じく、教会学校の必要性を強く感じています。捜真教会の教会学校が充実することは一人一人の人生の生き方を変えていくと信じています。

なるほど。まさに“あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。” ですね。

: 捜真女学校の卒業生は母校がとても好きです。卒業して沢山の人生経験の中で教会や学校で覚えた聖句や賛美歌の歌詞で勇気づけられたことをよく話します。同じように幼稚園や教会で学んだことで何事かにぶつかったとき神様の力を感じ、喜びや感謝となる経験をなさった方が多いと思います。「神に信頼せよ」という言葉が一人一人に生きていると思います。

ありがとうございました。私たちは先生の穏やかな笑顔に支えられています。

インタビュ―:高橋昌博 2007.3.3  <2007.6.24 Web用に一部加筆いたしました。>
Church and my life vol.6 Tomi Naito
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