Church and my life Masako & Akira Kawai |
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今、ここに一枚の写真があります。昭和三十二年に捜真教会で撮られた写真です。痩せたハンサムな青年とその隣には美しい花嫁。この年のイースターに献堂式を行った、新会堂での初めての結婚式でした。川井明さん(以下ジミーさん)と正子さんの結婚式です。 − ジミーさんと教会の最初の接点はいつごろですか? 「ジ」 高校生の頃、僕はもともと横濱教会のメンバーでしたが、伝道師だった森島卯之助先生(森島牧人牧師の父上)が捜真女学校の聖書の先生になられ、教会も捜真教会に転会されました。その後ぼくたち高校生も何人かが一緒に転会しました。そこにうちの奥さんがいたんです。 |
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「正」 捜真教会が創立されたのは私が捜真女学校の高2の時でした。その頃はまだ教会堂がなくて、女学校の校舎を借りて礼拝をしていました。その頃は高校生がCSの先生をしていたんですよ。生徒が120名位いて、先生も20数名いましたね。聖書が唯一の教師のテキストでしたから、本当に聖書をよく読んで勉強しました。 「ジ」 高校生からCS教師を始めて大学生、社会人になってもずっと続けていく人が多かったんですよ。行事もプログラムも全部自分たちで考えて、随分いろんな事をやりましたよ。 |
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− その頃は年代別のグループになっていたんですか? 「ジ」 そう、高校生の「ともしび会」大学生の「レムナント」、そのうえの「のぞみ会」、「ア ダルト」というのがあって、順にあがっていきました。 「正」 婦人会は教会創立の翌年に宣教師のミス・エーカック、ミス・マコーイの呼びかけで出来て、宮本つね姉が会長になられその後、日野先生が長く会長をなさいました。 「ジ」 それぞれの年代によって仕事が決まっていて、子ども会を開いて、安く仕入れたお菓子を売って教会堂の献堂献金にしました。バザーのためには、みんなで手分けしていろいろな品物を仕入れに行きました結婚式も全部手作りでした。 「正」 そうね。私達が捜真教会で結婚式をした第1号ですからね。皆で協力して何もかも準 備して下さいました。そういう時は卯之助先生の奥様(故森島きみ子夫人)が式の飾りつけとか介添えのしかたをみんなに教えて下さったんですよ。 「ジ」 ケーキの切り方とか、お茶のサーブのしかたとかも全部教えて下さってね。私達はそういうことを訓練されていて、なにか行事がある時はみんなで力をあわせたものです。 − そういうノウハウを持った方達がたくさんいらっしゃるんですから・・ |
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「ジ」 伝えたいことはたくさんあるけれど、誰にどうやって伝えたらよいのか分からない。礼拝 に来る若い人は結構いるが、その人がどういう人なのか、どうやって声を掛けたらよいか、接点がないと分からないとおっしゃる方がいらっしゃいます。向こうもなにか手伝おうという気持 ちはあるけれど、何をしたらいいか分からないのではないでしょうか。誰に声をかけたらよいのかと迷っているのでは?そんな方々の架け橋になれたら嬉しいです。 「正」 去年久しぶりにキャンプに参加したんですけど、帰ってからも参加した人ととても親しくなれた気がするんですよ。行事にどんどん参加して接点をたくさん持つことが大事じゃないかしらね。 「ジ」 次の世代に継承していくやり方が課題だね。押しつけじゃなくて「これはこうするとうまくいくよ」ってね。それをその通りにやるんじゃなくて、若い人達で考えて変えたっていいんだから。 |
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