2009年3月8日

食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。ヨハネによる福音書13章4節

メッセージ

  ヨハネの福音書には「謙遜」という言葉は 一度も出てきませんが、この書ほど主イエスの謙遜が示されているものはないと思います。その代表的なものが13章の有名な「主イエスの洗足」の出来事です。足を洗うというのは、奴隷のする仕事、それも異邦人の奴隷がする、極めて卑しい仕事でありました。主イエスは弟子たちの足を洗われました。足を洗うという行為を通してキリストは弟子たちに模範を示され(15節)、彼らにも足を洗い合うことを求めております(14節)。具体的に足を洗い合うとは「赦し合う」こと、「愛し合う」こと(34節)に他なりません。
 さて、テキストのみことばで注目したい語があります。それは「脱ぐ」という言葉です。これは12節の「(上着を)着る」という語と対比させて考えなければなりません。この「脱ぐ」と「着る」と訳された言葉は、原語のギリシャ語では普通に使われるものとは異なって、同じヨハネ福音書10章17〜18節で「捨てる」、「受ける」と訳されたものと同じ語が使われております。従って直訳すれば「上着を捨て」られ、また「上着を受け」られたとなります。ここにイエス・キリストの十字架と復活が象徴的に示されているのです。上着を脱がれた(捨てられた)ことによって、私たちの罪の贖いの代価としてご自身の命を捨てられた主イエスを、また上着を着られた(受けられた)ことによって、死に勝利され復活なさる主イエスを指し示しているのです。
 私たちも主イエスに足を洗っていただいた者です。キリストの体なる教会は「礼拝共同体」であり、「宣教共同体」でありますが、同時に十字架と復活の主に足を洗っていただき、罪赦された者による「愛と赦しの共同体」であります。ところでみなさまのご家庭は円満ですか?私たちの家庭もまた、「愛と赦しの共同体」となる時、神様から豊かな祝福を受けるのではないでしょうか……。

東間 克美