創立61周年記念礼拝

2009年9月27日(

2009年9月27日 捜真バプテスト教会は、創立61周年記念礼拝をお祝いしました。


創立61周年記念礼拝は「最上のものを主に捧げよう」という題で森島牧人牧師が説教しました。また礼拝後、教会に広大な土地を寄贈された木村啓一氏へ感謝状を贈りました。
教会学校の合同礼拝では、220名近い子どもたちや保護者、成人科の皆さんとともに、礼拝を持ちました。
愛餐会では、壮年会、女性会、有志によるバンドが賛美を行い、教会員全員で食事のときを持つことが出来ました。
また同時にレムナントの写真とレムナント創刊号からの言葉、レムナントの思い出が展示されました。

CS、記念礼拝、愛餐会の様子
  枠がある写真は拡大します
   
1.教会学校も61周年記念の礼拝を行いました。幼稚科、小学科、中高生そして成人科まで、一緒に礼拝しました。 2恵牧師の説教でした。 3. 教会学校で全体写真を撮りました。
4.子どもの教会の様子です。 5.礼拝の説教は、森島牧人牧師です。教会の信仰告白をみなで唱和しています。 6.礼拝後、教会に広大な土地を寄贈された木村啓一氏に感謝状を贈呈し、ご挨拶を頂きました。
8.全体写真です。 8..礼拝後、愛餐会を持ちました。幼稚園1Fで行いました。
9..余興でバンドが演奏しました。
10.壮年会、女性会も賛美しました。
写真展レムナント

レムナント会 資料・写真展によせて
牧師 森 島 牧 人

捜真バプテスト教会は、1998年にはヨベルの年・創立50周年を祝い、2008年にはパイプオルガンを奉献して、賛美する教会・伝道する教会のシンボルとして位置づけ、創立60周年の時を共に祝いました。これは、次のヨベルの年・100周年に向かう教会の足腰を鍛えるためであります。
創立61周年を迎える今年は、教会の歴史の保存に務めるライブラリー委員会の働きによって、レムナント会の資料や写真が展示されることになりました。捜真バプテスト教会には、創設期から捜真学院、関東学院等のキリスト教学校の生徒、そして地元栗田谷の青年たちが多く集ってきました。教会学校が始まり、こひつじ会(中学生グループ)、ともしび会(高校生グループ)が形成されました。高校を卒業し大学生になった青年たちは、自分たちの集まりを持つ決意をして、その名前をレムナント(残れる者)としました。青年の活動は教会の重要な原動力ともなり、良き働き人を多く生み出しました。レムナントの諸資料や写真をご覧になって、懐かしさに心を熱くされる方々や信仰の先達の記録を見る方々には、驚きと喜びを持って捜真バプテスト教会の一員として、自覚的にこれからの教会の歴史を担っていただきたいと願っています。
これから捜真バプテスト教会の創立記念日ごとに、いろいろなグループの歩みが紹介されることを期待しています。私たちは、教会の過去を知らない方々に対して歴史を伝えて継承していかなければならない責任があります。捜真バプテスト教会の「伝道する教会」としての良き伝統の歴史をひも解きながら、共に確認することができれば幸いです。


 
1.1950年代 本栖湖 Aトレキャンプでリーダーを養成しました。
2.1950年代 活気に満ちた若い魂が成長していきます。 3.1973年 中善寺湖千手ヶ浜キャンプ場  バンガロー前にはいつも洗濯物がほしてあります。
 
4.1974年 キャンプ主題:わたしたちは神の作品であって良い行いをするようにキリスト・イエスにあって造られたのです。
5.1974年 ガリラヤ湖のような静かな湖畔で賛美をしました。 6.1975年キャンプ



写真展で展示されたレムナントに関するご紹介です。

レムナント 新しい発足に当たって 森島卯之助副牧師

それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。 ルカによる福音書13:6-9

私の今一番関心のあるのは青年達のグループの教化のことである。此の教会は実に若い人にめぐまれており、若い人の雄雄しい信仰的歩みに私自身励まされてきました。しかしこの事は決して青年グループが神の前にしっかりと団結しているという訳ではありません。或る人はよい賜物を与えられながら。何ら交わりに寄与する事なく過ごしておられる方もあり、又或る人は全く交わりに無関心でおられる方もあり、この若い人々のグループには多くの問題があります。このような事情にあって、尚どおして希望をもって、このグループに期待し。又このグループのために力をつくそうとするのでしょうか。神の前に立たされた正に倒されんとしている私たちにとって、よき園丁であられるイエス・キリストは神の執政をして下さっていられる事を信じるからであります。このイエス・キリストの御降誕の意味深い時に、再びレムナント会が強く立たされる事に神の恩寵の深さを知るのであります。又その恩寵のきびしさの中に立たされている事実を見逃す訳にはまいりません。このグループを支えて下さる主イエス・キリストに依り頼んで、この教会に於ける一グループとして神の国建設のため一人ひとりが頑張って行こうではありませんか。益々神の御恵みがレムナント会の上にあります様に祈ります。


創刊号によせて 日野綾子執事

クリスマスおめでとう。機関紙の創刊、おめでとう。教勢を見ていつも一番気にかかるのはレムナントの事です。頂度高校から或る人は社会へ或る人は大学へと進学される時期なのです。一番境遇の変化が多い事は当然なのですが、それにしても在籍数と実際に教会に出て居られる方の数の差が大きすぎるのです。私は一人ひとりの名前を声を出して読んでみます。そして「今どうしていらっしゃるの。御元気でしょうね。大丈夫?」ときいてみます。本当に気にかかるのですよ。バーナード・ショーがこんな事を云っていますね。“Are you going to spend your whole life saying 'ought'? Turn your 'ought' into 'shall'!"と。教会に出て来られない方々、それぞれの理由もおありでしょうが、「出席する筈ですが・・・。」「信仰の生活を続ける筈ですが・・・。」の「筈」を「出席しましょう」「信仰生活を続けましょう」に変えられないでしょうか。いや、是非かえていただきたいのです。又出席して居られる方々も、きっと教会員としてこうあるべきだと気付かれ乍ら、実際にはそう行っていない事もあるでしょう。その'ought'をshall'又は'will'にかえてみたらどうでしょう。あなたの時代は一番勉強の出来る時ですね。入学試験、就職試験から一応解放された所ですもの。私は何か頭のコリコリするようなむずかしい物をやたらに読んでみたかった自分の若かった日を懐かしく思い出しますよ。聖書と四つに取り組んで勉強してください。指導者をギュウギュウ云わせるような迫力で勉強して下さい。聖書の土台なしにキリスト者の信仰は成り立ち得ませんから。更に社会問題、人生問題をキリスト者の立場から考え合い討議しあったら如何でしょう。活発に討論が運んだら愉快でしょうね。あなたの活動力は素晴らしいですよ。そのVITALITYを主の身体である教会の充実発展の為に献げて下さい。宣教しないものはわざわいなるかなです。
あなたの持って居られる若さの最上のものを主に捧げようではありませんか。土性骨の通った実行力のあるキリスト者になろうではありませんか。そんな若者をイエスは必要とされているのです。
(創刊号は昭和30年12月18日発行されました。)


発刊に際して 佐野兄

レムナント会発足して一年有半、新しい会堂が与えられて諸般の事に一段落つき、いよいよ基礎建設の段階は終わり、発展の段階に入ってまいりましたが、雑事にとりまぎれてたいした活動もせずに過ごしたことを残念に思ひます。
教会の活動の中心はこのレムナント会が担わねばならぬと云う会員の自覚がクリスマスに向かうと共に高まってまいりました。そこで会員相互の交わりを深める為に、特に教会に出席したいは思ひながらも、種々の事情の為に心ならずも欠席している諸兄妹に教会の現況を知らせ、又交わりを持つ為に機関誌を出版しようとの声が会員の間に興ってまいりました。我々が見聞きする限りに於いて他の教会にはその教会を代表とする立派な機関誌が必ず発刊されていますのに当教会には無いのを残念に思いましたのもこの機関誌を発行する事になった動機の一つです。然して此処にレムナント会諸兄妹の御協力により「レムナント」という機関誌を発行する運びとなりました。誌名を「レムナント」と致しましたが、この機関誌を単にレムナント会だけのものとはせずに広く教会の機関誌にまでしたいのが私達の真の意図なのです。その為に寄稿者をレムナント会会員だけに限定せず、牧師・執事の方々からも原稿を戴いた次第です。広く教会に集う人達から寄稿を熱望してやみません。創刊号でありますので色々と意に満たぬ不備な点が多くありますが、この機関誌はこれを読まれる方達がこの機関誌を育てて下さるようお願ひします。クリスマスを寿ぎ、クリスマスにちなんで「レムナント」第一号が発刊されますことを神に感謝してペンを置きます。


ある教会員の思い出

週に一度、木曜日の夜に聖書研究、ひと月に一度、お誕生日をお祝いする会をしていました。教会でみんなで料理をして食事を共にしてから、夜遅くまで語り合ったりしました。教会には本多さんが住み込みでいらしたので、いつも遅くまで開いていました。活動の土台は夏の修養会とトレーニングキャンプでした。修養会では徹底した聖書の学びと交わりのときを持ち、実践としてCSキャンプに参加しました。レムナント1年目は初歩的なAトレーニングキャンプ、略してAトレ、二年目にはBトレと段階を踏んでいき、リーダー養成の場を持ちました。当時新鮮だったアメリカ文化に触れながら、多くの青年たちと交わりの時を持ちましたが、ここは社交の場に終わらず聖書の学びを続けたことが、今の基礎になっていると思います。


60年代のレムナント  レムナント1964~68年 森 克子

私が捜真バプテスト教会レムナント会に所属していた1960年代のメンバーは、森島卯之助牧師に指導を受けた最後の世代といえます。この時期は全盛期のあふれるような雰囲気から、コンパクトな組織となりましたが、教会学校の教師や聖歌隊などの奉仕、「花の日」と「感謝祭」に行う病院や施設の慰問、クリスマスでの教会学校の祝会、ページェントや劇、楽器演奏など様々な奉仕が引き継がれ、各自は与えられた能力(タラントン)を活かし、喜びを持ってプログラムに参加していました。また結婚式や葬儀の準備、後片付けなどの戦力としても多くの奉仕をしました。日曜日の教会学校の時間にはレムナント会の分級があり、「ハイデルベルグ信仰問答」について中村隆治郎伝道師(現神学校校長)からご指導を受けました。委員会構成は会長、書記、会計の三役と数人の委員を中心に運営され、約30〜50人程が会員として所属していました。 
何より楽しかったのは、夏季におこなわれるレムナント会の修養会です。まず、中高生キャンプのリーダーとしての奉仕、その後リーダー養成キャンプが終わると、待ちに待った私たち会員の修養会が始まります。修養会は計画を立案する段階から盛り上がり、みな開催を楽しみにしていました。プログラムの内容は、先輩リーダーによる聖書研究、炊事当番、レクエーション(抱腹絶倒のゲームの連続)、青年として考える時間(信仰、恋愛、将来、友情など)など寝る間も惜しんで交わりを持ちました。レムナントの修養会の終わりをもって私たちの夏の長いプログラムは閉じるのです。この修養会を通して多くの兄弟姉妹が教会につながりました。そして当時のレムナント会の仲間からは神学校に4人が進学しました。その中の一人が当教会の森島牧人牧師です。



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